日本最古のアニメフィルム、京都でみつかる

kamigurumi2005-07-31

明治40年代頃の50コマ3秒ほどのものとか。ニュース記事はすぐ消えちゃうんで以下に全文コピー。

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日本最古のアニメフィルム、京都でみつかる

2005年07月30日




発見された明治のアニメフィルムの一部
 明治時代に作られたと見られるアニメーションフィルムが京都で見つかった。記録に残る国産アニメの第1号は、1917(大正6)年の下川凹天作「芋川椋三 玄関番の巻」とされているが、それより10年ほど古く、日本のアニメ史が塗り替えられる可能性があるという。当時はまだ映画館はほとんどなかった時代で、資産家が自宅で映写機を回し、珍しい「動く絵」として楽しんだらしい。

 見つかったフィルムは35ミリサイズ。セーラー服を着た少年が黒板に「活動写真」の文字を書き、振り向いて敬礼するまでを50コマの絵で描いている。1秒16コマで上映すると約3秒の動画。連続上映できるようにループ状につないであった。セルロイドのフィルムに直接絵を印刷する合羽(かっぱ)版と呼ばれる手法で、黒と赤の2色を使っている。作者などは不明だ。

 京都市内の旧家で、映写機3台、時代劇映画や短い外国製アニメなどのフィルム10本とともに保管されていたのを、映像史研究家の松本夏樹・大阪芸大非常勤講師(53)が入手した。

 「合羽版は(動画ではない)幻灯フィルムを印刷するために明治期に使われた技術。一緒に保管してあった映写機の製造年代などから、遅くても明治40年代の制作と判断される」と松本さんはみる。

 映画が日本に入ってきたのは1896(明治29)年ごろとされる。松本さんによると、数年後には国産映画も作られるようになったが、映画館が各地にできたのは大正になってからで、当時は興行師が各地を巡回、テント小屋や野外で映写していた。興行用以外では、ごく一部の資産家が当時は高価だった映写機をフィルムとともに購入し、自宅で映写していたという。

 「日本アニメーションの力」などの著書がある津堅信之・同芸大非常勤講師(36)=アニメ映画史=によると、現存するもので最古とされる国産アニメフィルムは18(大正7)年の北山清太郎作「太郎の番兵 潜航艇の巻」の一部分。その前年の「芋川椋三 玄関番の巻」はフィルムは残っていないが、当時の映画雑誌に記録があり、日本最初のアニメとされていた。

 この2作品は、原画をカメラで1コマずつ撮影して制作されている。今回見つかった作品はカメラを使わず手法が異なるため、津堅さんは「厳密な意味で現在と同様のアニメと言えるか、という議論は残る」としながらも、「明治に動画があったことは大変な発見」と評価している。

 2人は詳しい制作年の特定などを進め、日本映像学会の機関誌に共同で論文を発表する予定だ。

asahi.comより全文引用
http://www.asahi.com/kansai/news/OSK200507300041.html

「合羽版」はステンシルみたいなものだとか